関守良さんは、15年前、リタイア後、脱都会の生活を何となく夢見ていた。そうした中、過疎地の不動産物件をあつかう東京のカントリーセンター社が発行する「カントリーライフ」や、古民家を設計する建築家と知り合う過程でその思いはますます強くなっていった。
関さんが脱都会の拠点として選んだ昭和村の千石沢集落は、かつて「御蚕の桑畑」であった。時代の変化はそんな田舎にも当然及び、蚕はなくなり、桑畑もいらなくなり、周囲は様変わりしていった。

 平成元年、村興しの一環として村の有志で設立した昭和総合開発株式会社は、こうした桑畑を一区画300〜500坪の別荘地として売り出した。村の景観に溶け込むかなり厳しい建造物の条件を付けてである。
関さんは、当時、懇意にしていた「カントリーセンター」からこの情報を入手すると、真っ先に現地見学会に参加、即決で第2の人生の地としてここを選んだ。もちろんここに古民家を建てるという決心のもとにである。村の条件が関さんにとっては逆にうれしかったそうである。
 千石沢集落の各家(現在17戸)の外壁は、「蔵」をイメージした「白と黒」ですべて統一されている。景観を統一して、それ以外の色は使えないようになっている。この地に関さんが惚れたのもそんな統一された村のイメージ作りへの意気込みであった。

 敷地500坪に建坪は延べで25坪。古材を利用した古民家は釘を使わない工法であえて作ってもらったそうである。天井の「梁り」は巨大なもので、切り出した時の綱ですべり落とした跡がくっきりと残るものが使われている。壁はしっくいで仕上げ、もちろん新建材は一切使っていない。

 必需品としてのストーブやいろりを配した室内はシンプルでいてまさに日本古来の民家の趣を見事に再現してある。間取りで特徴的なのが、多目的に使用できるように設計してある点で、大宴会はもちろんのこと落語や講談などもできるようなスペースどりをしてある。2階に上がる階段もわざと狭く急にして、吹き抜けの開放感を求めた。天井の圧迫感はまったくなく、ユッタリくつろげる居住感を醸している。ご本人はこの階段をよいざめの階段と呼んで、家の中でもっとも気に入っている場所のひとつでもある。
 古材にこだわり、古来の工法にこだわった設計だけでなく、実際、田舎の生活を始めてみると極めて理にかなった使い勝手にも大いに満足している様子が伺われた。





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