東北自動車道・鹿沼インターチェンジから県道15号線をクルマで飛ばすこと1時間、足尾峠の出会い、粟野川の清流と杉木立に囲まれた粟野町・上粕尾の集落に、西牧誠さん(69歳)のログハウスが佇んでいる。それが西牧さんの終の棲家『とんかち工房』である。
■偶然とラッキーが幾つか重なって…
 西牧さんがこの地にログハウスをかまえたのは平成4年の夏。ここに住みついて10年目を迎えるという。
 もともと、西牧さんは根っからの広告マン。ある広告会社で最前線を切り盛りしていた敏腕アドマンである。  当時を振り返ると、「年金? それ何よ!」「老後? クソ食らえ!」という世代の典型だったという。
 そんな西牧さんに、山奥の、それも陸の孤島のようなこの地に、終の棲家ともなるべきログハウスの建設とそこでの生活を決断させたのは、奥さんの並々ならぬ 力量だったようだ。
「こんな山奥に越したなんて、昔の連中は誰も信用しませんでしたね。もちろん、ボクにはそんな計画性もないし金もない。もっとも、昔から女房は自然派志向があったようで、歳をとったらどこか静かで自然豊かな田舎暮しを考えていたようですが、どっちみち、夢で終わるだろうというの偽らざるボクの心境でしてね」。
 西牧さんはと言えば、大の競馬好き、遊び好き。赤提灯と縄暖簾が目に入らぬ ところでは息もできないという御仁。東京・立川にある自宅も『立川牧場』と名付けるほどだから、"お馬サン"への入れ込みようは相当なものだったらしい。
 お子さんは2人と聞く。現在ではすでに独立されているが、10年前といえば、2人ともまだ学生か、就職したての時期。そんな中で奥方は着実にセカンドライフの設計図を引いていたのである。
「ある日、女房が雑誌に掲載されているログハウスの広告を持ってきて、『どう?』って言うんですよ。まぁ、ボクとしては余り関心がなかったもんだから、『いいんじゃない?』って答えておいたんですがね……」
 そして、奥様に案内されたのが、ここ栃木県粟野町上粕尾だったのだという。
 建設資金は、土地300坪、二階建ての住まいと、ご主人の木工アトリエ『とんかち工房』、それに奥様の染色・焼き物用のアトリエの三棟合わせて約4,000万円だったというが、資金に関しては西牧さんは一切ノータッチ。
「いいところでしょう? このハウスの上に製材所がありましてね。そこがログハウスを宣伝していたんですよ。そこの社長さんとえらく気が合いましてね。そこで、『いいんじゃない』程度だった思いが、一気に『ここに住んじゃおっ』に変わってしまったんですよ。お金ですか? 余り詳しいことはわからないんですが、別 荘用に確保していた土地の売却代金と若干のヘソクリで処理したんじゃやないですか。ボクの退職金にはほとんど手が着いていないと思いますよ。」
 いくつかの偶然とラッキーが重なって――というが、ログハウスの施工会社との出会いはともかく、こんなすばらしい奥方を持ったこと、これが最大で唯一のラッキーと見た。






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