
もともとは、松下さんは時事通
信の記者だった。一番長かった取材範囲は築地の魚市場だった。29歳(1963年)の時、転勤命令が出た。ちょうど家を建てたばかりで、単身赴任も嫌だったが、記者という仕事がどうも自分に向いていないのではないかとも思っていた。その時、たまたま偶然に東京都交通
局の職員を募集していたので、あっさりと通信社を辞めて、そちらの方に転職した。交通
局での仕事は地下鉄車両のメンテナンスだった。小さい頃からモノをいじるのが好きで、中学生の頃は、神保町にしょっちゅう出かけ、神保町から小川町までに並ぶ露店で部品を買っては鉱石ラジオなどを夢中で作っていたので、新しい仕事にはすぐ溶け込めた。むしろ毎日が楽しかった。現場で10年以上過ごした後、有楽町の交通
会館にある事故・故障対策の仕事をするようになった。職場は楽しかった。調べて、研究して、改良する仕事はこの上なく面
白かった。だからそこでの18年は夢中で過ぎた。職場の仲間とは、海釣り川釣りに、北アルプス南アルプスの尾根歩きにとよく行った。

50代になると、暇ができるとゴルフばかりした。しかし、50代も後半末になると、公共事業体の慣例である肩たたきがきた。その頃になると、窓際というより、年配者の仕事は少なく、職場でも体を持て余し気味になる。その頃は58歳から年金を満額でもらえたので、共働きの奥さんと相談して退職することにした。1991年、58歳だった。もうその時は長女も長男も独立していたので何の心配もいらなかった。