|

 |
過疎医療に携わるかたわら
岩魚の放流で村起こしに取り組む
今回のエルダータウン・インタビューは30年以上に渡って過疎医療に携わるかたわら、川への
岩魚放流を続けて地域起こしに取り組む石川栄五郎さん(72歳)にご登場いただきました。
|
|
僻地医から過疎医に
石川先生にお会いすることができたのは、福島県耶麻郡西会津町奥川地区の極入(ごくにゅう)という20戸ほどの部落にある釣り宿『渓流の宿』。このあたりは東北の名峰・飯豊山の登山口にもなっているが、極入の名前の示す通り、山里の奥の奥に「極めて入った」ところで、福島県の僻地指定を受けている地域である。
先生が奥川地区で僻地医療に取り組まれたのは昭和44年というからすでに30年以上の歳月が流れたことになる。
――私が奥川地区に僻地医として赴任した頃は、まだ人口が6000人もいたのですが、現在は1372名、当時の5分の1という過疎化ぶりです。奥川地区といっても、飯豊山を源流として流れ下る奥川に沿って10あまりの部落が点在しており、一番下の部落から一番上に近いこの極入地区、さらに入った弥衛四郎というところまでは歩けば半日はかかります。いまは自動車があるからいいようなものの、赴任当時はそんな便利なものはなかったですからね。
もともとは小児科医なんですが、僻地医療というのはそれこそ何でも屋でないと勤まらない。真冬の夜中に一番奥の弥衛四郎部落で産気づいたという知らせをもらい、真っ暗やみの雪の山道を懐中電灯一つを頼りに、三時間もかけて上り詰めたなんていうこともありました。
もともとは会津若松の県立病院にいたんですが、生まれが西会津だったことと、父親が西会津の町の役職についていて、僻地医療を薦めたこともあり、看護婦をしていた女房ともども、この地域に開業して、はや31年ですよ。
そうですねー、当時は1日に60〜70人の患者さんを見ていましたが、あの頃はこのあたりもご多分に漏れず、塩分の取り過ぎで高血圧や胃腸病の老人が多く、もっぱら内科的な病気が3分の2を占めていました。でもいまは僻地の医者というより、どちらかといえば、過疎地のご老人専門の医者といったほうがいいでしょうね。――
|
|
|